はりのラブライブ!メモ

ラブライブ!への『大好き』を叫ぶブログです

伊達さゆりBirthday Party 21st 〜好きな色に着替えて〜に寄せて

 

 もう少しで会えるんだなと思うと嬉しくて嬉しくて仕方ないのと同時にもう二度と訪れないあの日のこととこれから訪れる日のことに、色々な気持ちが湧いてきます。

 普段はラブライブ!について扱っているブログですが、どうしても言葉に残したかったので、今回は推しである伊達さゆりさんのBDイベントについて思うことを書いていきます。

 

 2023年9月30日は、伊達さゆりさんの21歳の誕生日です。そして『伊達さゆりBirthday Party 21st 〜好きな色に着替えて〜』が開催されます。

 

 少し早いですが、

 

伊達さゆりさん、21歳のお誕生日おめでとうございます。

これまで以上に素晴らしい、実りの多い1年になることを心から願っています。

 

 そんな大切な日を迎えるにあたり、重い内容になるかもしれませんが私自身の気持ちの整理も含めて書かせてください。

 

 

 私は彼女のことを初めて明確に『推し』であると認識した時のことを覚えています。

 どこまでも純粋な笑顔で、真っ直ぐな瞳で前を見つめる彼女に惹かれました。そして初めてのLiella!の生放送の日、大好きなラブライブ!のキャストになることが出来た喜びで涙を流していた彼女に惹かれました。熱い想い、大好きな歌への想い、何もかもが彼女の魅力であり、人を惹きつけてやまない明るさが大好きになりました。

 

 Liella!の初めてのリリースイベント、力強くて、真っ直ぐで、無観客になったやるせなさを全く感じさせない彼女の歌声は今でも鮮明に覚えています。

 その時はこう思っていました。「この人がスーパースターなんだな」って。「選ばれるべくして選ばれたスーパースターなんだ」って。

 

 けれど全然そんなことはなくて。引っ込み思案の自分を本気で変えようとして、大好きなラブライブ!をきっかけに変わろうとした、どこまでも普通の女の子。いくつかの書籍やインタビューで話されていた不安や苦悩や葛藤の数々。大好きな歌への不安。そのどれもが等身大の彼女で、ひたむきに努力する彼女だからこそいまを『掴み取った』んだって、色々なところで感じました。

 でも、やっぱり他の誰とも違う、キラリと光るものを私は伊達さんから感じました。普通なのと同時に『特別』なんだと思います。

 

 

 ラブライブ!が大好きでずっと追いかけてきた自分にとって『キャストを推す』というのは初めてで。きっと一般公募から夢を叶えた彼女は自分にとって最も『憧れから遠い存在』だったのだと思います。自分は彼女に憧れたわけでなく、最も近くでキラキラと輝いていたことがただただ好きだった。とにかく明るくて、見ていて自然と笑顔になれるような笑顔も、聞こえてくると自分も楽しくなってくるような笑い声も、良い意味で凄く身近な輝きだったんです。

 でも18歳とは思えないほどしっかりしていて、Liella!としての活動も、個人ラジオも、個人番組も、写真集も、ドラマも。色々なところで活躍する彼女はカッコ良さも感じます。

 

 

 lovelive daysのインタビューで彼女が語った、「オーディションを受けた全員の気持ちを背負って」って言葉からはとてつもない『覚悟』を感じて。ラブライブ!シリーズという大きなコンテンツの主人公役でありながら、一般公募キャストがそれを務めるだけでもとんでもないことなのに、それに参加した一般公募生の想いを背負うことは並大抵のことじゃない。ましてや『私を叶える物語』をコンセプトに掲げるスーパースター!!というプロジェクトにおいて、『私を叶えた』彼女が、夢破れた人、いや『夢破った』みんなの想いを背負ってあの場所に立つことはどれだけの勇気と覚悟がいることなのか。それにそんなオーディションに参加したみんなのことを『仲間』だって、そんなやさしさも持った人なんです。

 

 そんな彼女の全てを含めて、私は伊達さゆりさんを尊敬しています。

 何か出来るわけではないけれど、そんな彼女を傍で応援したくて、彼女の力にほんの少しでもなりたくて。そしてそんな彼女から力をもらって自分のいまを頑張りたかった。

 

 だから私にとって彼女は光なんです。勇気をくれる光、元気をくれる光。もしかしたら自分を導いてくれる光でもあるかもしれない。

 

 

 そんな大好きな彼女がちょうど1年前、20歳の誕生日に開催した『伊達さゆりBIRTHDAY PARTY 20th ~みんなとなら今日もきっとステキな日~』について。こんなおめでたい日に暗い話をすることも、後ろを振り返って過去の話をすることも、申し訳ないけれど許して欲しい。

 

 ラブライブ!スーパースター!!の一般公募オーディションであの世界に飛び込んだ彼女にとって初めてのソロイベントだった。20歳になるという特別な日をみんなで一緒に過ごすって、どこまでも彼女らしいコンセプトで開催されたあの日のイベント。そんな大切な瞬間を私はともにすることが出来なかった。無情にも『落選』の文字が私の前に浮かんでいた。それはもうどん底に突き落とされたように深い悲しみを感じました。

 悔しくて、寂しくて、苦しくて、辛くて。自分は『みんな』じゃないのかもしれない。そんな風にすら考えてしまった。

 

 

 イベント直前、FC限定生配信がありました。その中で自分はこんなコメントをしたことを覚えています。

「現地には行けないですが、遠くから20歳の誕生日を一緒にお祝いします!素晴らしいイベントになりますように!」

 現地に行けない自分の気持ちを押し殺して、ただただ彼女のお誕生日をひとりで、遠くから、届くかもわからない中で、ほんの少しだけ想いを馳せた1年前。コメントを送った時、本当に心の底からそう思えていたのか、いまになっても分かりません。

 『みんなとなら』という本当に彼女らしいイベントタイトル。会場内の人だけを指して『みんな』なんて言ってるはずもないのに、ステキな今日をともにすることが出来ないことを本気で悔やんで。

 

 大好きだから傷付いて、大好きだから苦しんで。大好きだから見ないフリをして。自分はどうしても行きたかった訳じゃないって嘘を叫んで。

 でも見ないフリをしていたはずなのにイベントに参加した人の話が聞こえてきて、言葉が目に入ってきて、また傷付いて。

心が擦り切れて
ギシギシと軋む音が
聞こえないように
大きな声で歌おう

理不尽が多すぎて
いつの間にかそれに慣れて
僕は自由だと
もう忘れてしまいそう

「ベルベットの詩」 - back number より

 

 

 あの日、会場に訪れた人には彼女からひとりひとりに向けた『手紙』が贈られたらしいです。当然自分にはどんな内容なのか、どんな想いが綴られているのか。知ることは出来ません。

 感謝の言葉かな、20歳の誓いかな。

 あの場所に入ることを許された人だけが知っていれば良いのでしょう。ともに20歳になる特別な1日を過ごした『みんな』だけが。

 

 あのイベントに参加した人の言葉も読まないように話を聞かないように。知りたければ教えてもらえるかもしれないのに、意地を張ってあの日のことを出来るだけ知らないように。そんな想いをずっと心の奥底に抱えたままにしていましたし、いまなおそうです。

 

 「全てのことに意味がある」

 自分の大好きな、信じてきた言葉が、こうも自分を苦しめることになるなんて思いもしなかった。手紙を受け取ることが出来ないことにだって、彼女の『歌』を聴けないことにだって、意味があるんだって。そんなこと信じられなかった。

正しさを別の正しさで
失くす悲しみにも出会うけれど

「水平線」 - back number より

 

 

 そこで彼女はback numberの『手紙』を歌ったそうです。彼女はback numberが大好きであることを色んな場面で公言されていましたが、私自身もback numberが、そして『手紙』という曲が大好きでした。

 彼女の歌う『手紙』はきっと、大切な人を想った歌声で。ジェットコースターのような日々を歩んだ『あしあと』を振り返るように。いまみている景色を噛み締めるように。彼女らしい素敵な歌声で歌ったんじゃないかなって。想像しては悔しくて、寂しくて泣きそうになって。

 

 誰よりも家族想いで、いきなりあの世界に飛び込んだからこそ誰よりもファン想いで。そんな彼女にピッタリの『手紙』という楽曲がきっと、『みんな』にとって最高の思い出になったのではないでしょうか。

あなたはずっと手を振って笑ってくれた
帰り道迷わないように
もし前を向けなくなった時も
振り返ればいつも見えるように
愛されている事に
ちゃんと気付いている事
いつか歌にしよう

「手紙」 - back number より

 

 また、伊達さゆりさんのお母さんからのお手紙も届いていたそうですね。きっと20歳を祝福し、それでいてお母さんとしての愛がこもった素敵なお手紙だったでしょう。ラブライブ!キャストを目指すという大きな挑戦を、きっと人生で一番勇気のいる選択を、全力で応援し、そして夢を叶えたいまをどんな風な言葉にしたのか、これもまた私が知ることは出来ません。

 

伊達さゆりさんからファンへの『手紙』

伊達さゆりさんからたくさんの人への『手紙』

伊達さゆりさんのお母さんから伊達さゆりさんへの『手紙』

 

 

 自分は受け取っていないたくさんの『想い』が形になったあの日は自分にとっては消えない夢、叶うことのない夢となりました。それは伊達さゆりさんが大好きである限り消えない夢。あの日を想う度に辛くなるほどの。

 でも、様々な『サプライズ』があったイベントで、たくさんの人の愛が詰まったイベントだったのは、疑う余地もありません。彼女にとって最高の、人生で一番の時間になったのなら、自分の気持ちよりも何よりも嬉しいんだって、そんな気持ちを大切にしたいって思っていました。

 そして自分と同じように、ただただ彼女のことが『大好き』な『みんな』が楽しかったなら、楽しいイベントにしてくれたなら、そんな仲間のことを信じなきゃいけないなと。

 

 自分はそんなに良くできた人間ではありません。行けなかったことでそこに行った人を妬むし、自暴自棄にもなる。だから私は願うんです。当日行った人には最大限その時間を、思い出を大切にして欲しい。それだけが自分をほんの少しだけ救うのです。

 

 

 

 その後のハチのばイベントで昼の部・夜の部ともに『落選』の文字をみて、伊達ラジの公録も『落選』の文字をみて。彼女を追いかけたい私の目の前にあり続けたその2文字は自分を苦しめ続けてきた。その度にこう思っていました。

 

 『いまの自分にはまだ伊達さゆりという人間に会いに行く資格がないのだ』と。

 

彼女に胸を張って会いに行ける自分なのか?

彼女に会いに行って恥ずかしくない自分なのか?

全力で頑張る彼女を心から応援できる自分なのか?

 

 そう心の中の自分が語りかけてきて。何度も何度も自問自答して、大好きな彼女に会いに行くためにまた、毎日を頑張ろうって。別に何が出来るわけでも何をしたいでもないけど、そう言い聞かせてきてあの日からあっという間に1年が経ちました。

 

 そして初めて私の目の前に『当選』の2文字が見えたんです。1年越しの夢が叶うんだって、心の底から嬉しくなりました。違った形の夢が。あの日消えない夢となった夢とは違う形だけど。まだ心から胸を張れるわけではないけれど、なんか、ほんの少しだけ報われた気がした。

 

 あの日抱えた痛み。

 

 それでもいま、その痛みを抱えながら、何度も傷付きながら、この瞬間に彼女のことが大好きな私がいる。消えない夢を抱えて応援し続けてきていまがある。諦めれば、こんな想いをしなくても良かったかもしれない。どうせ会えないんだって、好きな気持ちに蓋をしておけば傷付かなくても良かったかもしれない。

ああ 嫌だ 悲しいね
痛みを抱き締めて進め

あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
正直者は馬鹿をみるが
きっと人生は素晴らしい

「ベルベットの詩」 - back number より

 でもやっぱり彼女のことが好きで、応援したい、そんな気持ちは消えることはなかったです。

 

 2023年9月30日。奇しくも昨年と同じ場所で開催される21歳という特別な誕生日をお祝いするイベントに私は現地で参加します。

 あの日参加できなかった意味はまだ分からないけれど、彼女のことを好きで居続けた意味を証明し、あの日々を肯定するために、当日はたくさん彼女を応援し、心の底からお祝いし、あの時は使うことの出来なかった『声』という手段で、いっぱいいっぱい、気持ちを届けたいと思います。

 会いに行って、直接お祝いできることが本当に本当に幸せです。だからこそ精一杯の、最大限の感謝を持って。

 

 

本当はたくさんの愛と祝福の言葉で溢れさせたかったのに

 

こんなに重たい言葉ばかりになってしまってごめんなさい。

過去の話ばかりになってしまってごめんなさい。

 

でも、

 

 

 

出逢ってくれてありがとう

 

 

 

好きでい続けさせてくれてありがとう

 

 

 

当日はこの1年間の想いも込めて、お祝いさせてください。