後悔しないようにいまを全力で生きてるつもりなのになんで後悔してしまうのかなって。いや、後悔しないことなんて絶対にあり得ないことは分かってるんだけど、やれることを全部やったのかな。本当に最後の瞬間まで、訪れることが分かっていた最後の瞬間まで全力で、瞬間を生きたのかなって、いまになってなのかいまだからなのかは分からないけどそんなことばかりが頭の中を駆け巡ってて。
自分の大好きを大切にするべきなのか、大好きをくれた人の大好きを大切にするべきなのか。
自分はどうしたいのか、どうすれば良いのか、どうするのが自分にとっての正解なのか。
ドームへ一緒に行くことの意味がこれなのか。
これからも大好きでい続けることができるのか。
いま感じている寂しさ、哀しさ、悔しさ、楽しさ、嬉しさ…
何もかもが楠木ともりさんとの出逢いがくれたもの。そんな大切な人がいなくなった、いや居なくなってはいないけど、『直接』関われなくなっていくミライに自分にとってどれだけの価値があるだろう。
いなくなるからこの大好きを紡いでいくために大好きで居続けることに価値があることだって分かってる。頭では分かってる。
何も消えない、ゼロにはならない。全部全部心に残っていて、未来へ連れて行ける。心の底からそう思っているのに、『ぜったい消えないステキな物語』だって分かってるのに、いま前を向けないのってどうしてだろう。
信じられない自分の弱さか、未来に臆病な自分の小ささか。それともただただ哀しいって感情があるだけなのか。
積み重ねてきたものも、自分が受け取ってきたものも、大きなものであることはどうしようもないほどの事実として存在していて、それが未来に向かう自分の視界を遮っているのかなって、変な考えにもなっているのが『いま』で。
本来はその大きなものがあるからこそより遠くへ行けるはずで、もっと楽しい未来を、まだ見えない未来を楽しめるはず。でもいまはどうしても寂しさと哀しさと切なさが大きすぎて。いまはこれでも良いのかなって、そう思ってもいるけど、やっぱりそんな時にこれからも大好きで居続けることを約束できない自分がどうしようもなく嫌で、大好きな楠木ともりさんも、その楠木ともりさんが大好きな仲間も『いなくはならない』虹ヶ咲を好きで居続けることが出来るか分からないいまがどうしようもなく不安だから。
『好きで居続けることは難しい』
真剣に向き合うってどういうことなんだろう。『いま』を全力で生きることに『真剣』を見出してる自分にとって、その時にミライであったいま、この瞬間に向き合うことってどういうことなんだろう。『いまさら』わかるのことなのかな。
前田佳織里さんも大西亜玖璃さんも。本当に虹ヶ咲が好きで、楠木ともりさんが好きで、優木せつ菜が好きなんだなって、思えたから、この先も一緒に新しい景色を見に行きたい、そう思っていることだって間違いないけど、自分の中に居る楠木ともりさんがあまりにも大きな存在すぎて、どうしていけば良いのかわからなくて。
大好きに向き合うことだって、自分の大好きを貫くことだって、他人の大好きを大切にすることだって、”いまの自分”にとってはどうしようもないほど『当たり前』のことだけど、きっと、いや、ぜったいに、楠木ともりさんに出逢わなかったから存在しなかった『いま』。
『やり残したことはない』って楠木ともりさんの言葉が嬉しくて、でも寂しくて。もっともっと優木せつ菜と見たい景色だって、虹ヶ咲のみんなと見たい景色だって、A・ZU・NAと見たい景色だって、『あなた』と叶えたいことだってゼロじゃないと思ってしまって。『LIKE IT!LOVE IT!』のコールだって、叶えてないじゃん。一緒に叫びたかった。東京ドームにだってまだ行ってない。楠木ともりさんと東京ドームで大好きを叫びたかった。
でも楠木ともりさん自身が、誰よりも真剣に向き合って出した答えに対して『いま』思ってることを言葉にしてくれたから、それを自分自身が信じなきゃいけない。大好きな人の言葉を信じないことが、自分にとって一番最悪なことだから。
『違う場所へ向かうとしても信じてる』ことがいま自分が出来ることなのかな。
『もう誰も傷付いて欲しくない』って言葉も、大好きが溢れる世界を作ろうと、野望を持ち続けてきた優木せつ菜と、どこまでも真剣に向き合ってきたからこそ出てきた言葉だと思うし、ずっとそれを叫んできた楠木ともりさんだから自分にとってなによりも大切な存在だった。
『安心して欲しい』って前田佳織里さんの言葉が凄く頼もしくて嬉しかったな。
でもそこに自分が応援できる保証なんてどこにもないのが凄く苦しいなって同時に思ってしまう。
A・ZU・NAライブには『楠木ともりさんとの最後の時間』として参加したことだけは本当に良かった。きっとあの時その気持ちに向き合えてなかったらもっともっと後悔してた。最後の瞬間をもっと大切にしてれば良かったって思ってた。そんな気持ちで『大好き』と『ありがとう』を叫ぶことが出来て、届けることが出来て本当に良かった。それが伝わっているって信じてるし、あの時、あの場所で、届けられたことはやっぱりかけがえのないものだなって思う。
自分にとって宝もののこの出逢いが、ひとつの別れになってしまうことがやっぱりどうしても淋しい。かたちあるものいつか終わってしまう。始まりがあれば終わりもある。そんな淋しさは頭で分かっているかどうかはたぶん関係ないのかなって。
だから暫くは哀しさを消化し切れないと思う。
曲も聴けないかも。
歌詞も読めないかも。
ライブも見れないかも。
でも、
ひとつだけ、いまこんなに淋しさとか哀しさを感じてるいまこの瞬間にひとつだけ、間違いなく言えることがあって。
『楠木ともりさんに出逢えて良かった』
ってこと。沢山大切なものをもらって、自分のいまをもらって、そしていまこんなにも淋しくなれてることは絶対に『宝もの』だから、本当に良かった。
『出逢えた奇跡は 何より宝もの』
『ありがとう 出逢ってくれて 一番の宝物だよ』
2023/2/19 23:55 はり