はりのラブライブ!メモ

ラブライブ!への『大好き』を叫ぶブログです

情熱の側面~ミッドナイトラプソディのこと~

 

 みなさんこんばんは、はりです。

 

 さて、急ではありますが昨日Xの方で#もうすぐ会える震えるぜ というステキな企画を見かけたので普通に公開するつもりだったこの記事で便乗します。先に言っておきますが、完成した記事ではないことだけご了承ください...(8月24日追記完成)

 

 いよいよ『ラブライブ!スーパースター!! Liella! 4th LoveLive! Tour ~brand new Sparkle~』まで1時間程となりました!

先日それに向けてSecond Sparkleについて記事を書いたので良ければ読んでいってください。)

ynhk.hatenablog.com

 

 さて、今回はおそらく4thライブで披露されるであろう2ndアルバムのソロ曲から、葉月恋ちゃんが歌う、『ミッドナイトラプソディ』の歌詞についてを取り上げていきます。

 この曲は恋ちゃんの3曲目のソロ曲*1として2ndアルバムに収録されています。せっかくの機会ですので、少しこの曲の歌詞について掘り下げていきますので、お付き合いよろしくお願いします。

 

 

はじめに

 まず『ミッドナイトラプソディ』という曲の意味について。

 『ミッドナイト』というのは""真夜中""という意味、そして『ラプソディ』は音楽用語で""狂詩曲""の意味です。狂詩曲というタイトルは幼い頃からピアノ(音楽)に関わっていた彼女らしいものであり、また彼女らしい楽曲のモチーフと言えるでしょう。

 

 恋ちゃんのソロ曲はリバーブ→微熱のワルツ→ミッドナイトラプソディと繋がってきています。

 リバーブから簡単に曲の流れを辿ると、バラード調であるいは今は亡き母への想いともとれる曲*2。そして微熱のワルツでは、Liella!と出会い新しい""何か""に惹かれる自分自身を、『微熱』という言葉を用いて歌う曲、そして今回はその微熱から更に熱くなった『情熱』を歌うような曲となっています。

 シンプルにラブソングであるという見方も当然できますし、生放送やラジオ、インタビュー等で青山なぎささんが『ゲーム』に夢中になっている様子にも聴こえると話されていたように2期7話「UR 葉月恋」を彷彿とさせるゲームにハマっている恋ちゃん、という見方も出来ますね。

 

 

 そんないまの恋ちゃんの情熱を歌う""真夜中の狂詩曲""、ミッドナイトラプソディについて話していきます。とはいえ音楽、とりわけクラシックに関わったことがない人にとって狂詩曲は馴染みがない言葉でもあると思いますので、記事を書いていく前に狂詩曲というものについて少し書いていきましょう。

 

※本記事では、この曲のプロットを『2期~2.5期』としていきます。2期を経て変化し、成長した恋ちゃんの曲に込められた想いを探っていきたいと思います。

 

 

 

ラプソディ(狂詩曲)って?

 狂詩曲とは、簡単に言えば形の決まっていない楽曲形式のことを言います。おそらく交響曲(Symphony:シンフォニー)』『協奏曲(Concerto:コンチェルト)』は耳にしたことがあるかと思いますが、その楽曲形式のひとつです。*3私の""Symphony""や、梨子ちゃんのPianoforte Monologueには『とけあった""コンチェルト""』、A・ZU・NAのフォルクロア ~歓喜の歌~には『動物達の幻想曲(ファンタジア)』という歌詞があるように、ラブライブ!シリーズの中でも楽曲形式を意味する言葉はこれまでも使われてきました。

 

 ラプソディは形の決まっていない楽曲形式、つまり『自由』なわけです。音楽は基本的にある程度決まった形があります。極端にわかりやすく言えば、ラブライブ!の楽曲はJ-POPですから、『Aメロ→A´メロ→Bメロ→サビ』というようにある程度形は決まっていますよね。

 一方でラプソディというのは決められた形がなく、自由であるというのが特徴です。*4私もそれほど詳しいわけではないので、これ以降は興味あれば各々調べてみてください。

 

 

 

何に夢中になっているの?

 そろそろ本題に入っていきましょう。冒頭にこの曲は情熱を歌った曲だと書きました。詩中にもこういった表現があります。

いけないって思うほど夢中になってしまうの なぜ?
出会う前 あの頃のお利口なわたしに戻れない

「ミッドナイトラプソディ」より

 この歌詞を見てもやはり彼女は何かに夢中になっていくことを自覚しているようです。

 恋ちゃんがいま夢中になっているもののひとつとして当然挙げられるのが『スクールアイドル』でしょう。ただし、ここでは具体的な何かというよりは『自分自身』のようにも感じられます。というのも、恋ちゃんの2期を経ての1番大きな変化は自分を隠さない、恋ちゃん自身ありのままで居られるようになったことだと思っています。だからこそこの歌詞から、自分自身のやりたいことだったり好きなことにここまで『夢中』になっているようにも見えます。

 

 少し前の歌詞に戻りますが、『22時の扉 カギを差しこませて』という歌詞があります。なんで22時?って思ったんですね。

 

 22時を『ミッドナイト』だと考えている恋ちゃん、かわい~!

 ゲームにハマってしまった恋ちゃんが22時を超えてもゲームが止められないのもかわい~!

 

 これも間違いないんですけど...。若干拡大解釈っぽくはありますが、捉え方を変えれば自分自身に夢中になっていることを示唆しているようにも思えます。何となく22時と言うと、『自由な時間』だと個人的には感じます。学校が終わり、生徒会、部活動が終わり、帰宅し、食事や風呂を済ませ、課題・勉強をし、自分の時間として確保できるのが大体22時、なんてイメージがあります*5。そう思えば22時という時間と『自分自身』が結びつくような気がするのです。*6

 

 『どんどんズレていくチューニング*7』の歌詞もそんな恋ちゃんをよく表しています。『お嬢様』なところも『規律正しい』ところも恋ちゃんの魅力ではありますが、『チューニング』された自分自身から、新しい自分はだんだんズレていっている。でもそれが気持ち良いことだと気付いた彼女は漸く『葉月家の令嬢』でも、『創立者の娘』でもなく、ただひとりの少女である『葉月恋』になれたのではないかと思えるのです。

 

 だからこそラブライブ!決勝の舞台で、彼女自身がセンターで、これを歌えたんでしょう。

たまに悩んだって 好きなことを好きでいるずっと 決めたよ

「未来の音が聴こえる」より

 

 

 話がそれたので、戻します。

 『夢中』になっているのは、当然スクールアイドル、或いはピアノでもありますが、きっと漸く恋ちゃん自身が、『葉月恋』と向き合えて、自分自身にも自分の本当にやりたいことにも『夢中』になれているのが、いまの恋ちゃんなのではないかと思えます。

 

 

 

『悪』な恋

 さて、前項で『夢中』について少しだけ言及しました。夢中になって進んできた恋ちゃんは少し立ち止まっているようです。

もしも巡りあわなければ
切なさも知らずいられた
それじゃ会わなきゃよかったと
悔やむほどヤワじゃない
わたし実は少し悪みたい

「ミッドナイトラプソディ」より

 『もしも~なれけば』この言葉が凄く印象的ですが、そもそも『切なさ』を知ってしまったのは何故なのか。

 

 巡りあわなければ知れない切なさ、それは『別れ』の切なさではないでしょうか。ラブソングとしてこの曲を受け取ることが出来ると冒頭に書きましたが、恋愛に置き換えてみると切なさを感じる大きなことは『別れ』ではないかと思います。

 

 この曲において巡りあった『あなた*8』によって知って"しまった"切なさ。だけれど、新しい出逢いがあったからこそのいま恋ちゃんがある。だから会わなきゃ良かったと『悔やむ』わけではない。きっとそれは惹かれ合ったわたしたちは『奇跡』だからでしょう。

 恋ちゃんは新しい自分自身と出会うことで情熱を持ち、『自由な夜に飲まれてく』。それは『あなた』に対し、少し悪な『恋』をした少し悪な『恋ちゃん』であり、『自由』を得たからこそ"彼女らしく"これからまた進んでいけるのではないでしょうか。

 

 

 

ひとときの夢

どうかほんのひとときの夢よまだ
覚めないでここにいて

「ミッドナイトラプソディ」より

 別れがあることを知っているからこそ、ひとときの夢でもある。

 本楽曲の中でも時間が進んでおり、ラスサビに関してはいままさに3年生になっていくような『切なさ』や『儚さ』を感じます。彼女が見ている夢は夜(ミッドナイト)が明ければ覚めてしまいますし、結ヶ丘女子での夢ももう1年しか残っていない。

 ここから感じるのは、残りの時間を数え始めている、というところでしょうか。きっと1年生や2年生の時に高校生活がどれだけ残っているか、それを数えたりはしないでしょう。残り少ないものを数え始めるのは残り少ないことを意識し始めた時なのです。

 出逢うからこそ訪れる『別れ』という切なさ。ないない尽くしの新設校からたくさんの『繋がり』や『結び』を得たいまの彼女にとってその出会いを悔むことなんてない。だけれどもそんな愛おしいいまだからこそ夢が覚めないことを望むのでしょう。やっと見つけた夢中になれるもの。色々な出逢いがもたらした『ひとときの夢』の終わり、つまり別れや夜明けを意識する恋ちゃんの切なさとその中にある前向きな想いが感じられ、とても好きなフレーズです。

ずっと終わらないで 時がとまればいいのに
いま目の前にひろがる この景色あと少し見ていたい

「ユニゾン」より

 

 Liella!という存在が恋ちゃんにとってかけがえのない存在になっているからこその想いでもあり、そのLiella!への真っ直ぐな気持ちも垣間見えるところがとても嬉しいなとも感じるのです。

 

 

 

おわりに

 さて、ミッドナイトラプソディについてちょっとだけ書いてきましたが、いかがでしたでしょうか。2期を経て、新たな一面を見せてくれた恋ちゃんが見せる『ミッドナイト』な楽曲の魅力が少しでも伝わっていれば嬉しいです。

 真面目でお嬢様な恋ちゃんも大切で魅力的な恋ちゃんですし、新しい一面を見せてくれた恋ちゃんも等身大の恋ちゃん。そんな彼女らしさをこの楽曲に見ることが出来た気がします。

 ミッドナイトに落ちてゆく胸の高ぶりと、ミッドナイトというセカイが終わり、満天の星空も見えなくなってしまう、つまり夜明けが近づいていることに対する儚さ。言い換えるならば高校3年間という限られた時間の中で生きているいまの彼女の『情熱』と、情熱を持ったからこその『寂しさ』が詰まってるように思います。

 まして、結ヶ丘女子高等学校は、恋ちゃんの母が遺してくれたものであり、恋ちゃんのいまの夢にまで昇華されていると言っても過言ではない、『結ヶ丘をこの町で一番の学校に』という目標にも関わる。それもまた新しい情熱を持った彼女にとって大切なものであり、大切な学校にいられる時間の少なさ、というものもあるのではないでしょうか。

 

 きっとこれも何かに夢中になる『情熱』と巡り合わなければ知らずにいられた『切なさ』でしょう。心の底からやりたいことを見つけて、いままさに情熱をもって日々を生きている中にある、情熱の側面。それがひとときの夢であるという儚さが持つ美しさがあるのではないでしょうか。

 

 まさにいまの恋ちゃんを表現した楽曲で、より恋ちゃんのこともミッドナイトラプソディのことも好きになれた気がします。

 

 いよいよ明日、4thライブ開幕!

 この曲が披露されることも予想されますし、全力で楽しんでいきたいと思います!!

 

 お読みいただきありがとうございました!

 

 それでは~

 

*1:リエラのうたを除いて

*2:アニメ1期BD特典のソロ曲はそれぞれがLiella!と出会う前を歌っているのではないか、というひとつの解釈です

*3:おそらくヴェートーベンの交響曲第9番、あるいはモーツァルトのホルン協奏曲第1番などは誰しもが耳にしたことがあるでしょう。

*4:ハンガリー狂詩曲、というのが有名なので興味あれば聴いてみてください。

*5:これはなんの根拠もないイメージの話です。虹ヶ咲の時にFirstファンブックに各メンバーの1日のスケジュールが掲載されていましたが、Liella!にもどこかにありましたっけ?有識者いればこっそり教えてください

*6:なんで22時?って思った時に調べたことがあって、没にしても良かったんですけど一応書いておきますね。エンジェルナンバーというのをご存じでしょうか。知らない人はググってくださいね(他人事)エンジェルナンバー22というのは『強い意志と目的を持った数字。あなたにインスピレーションを与えて、あなたのアイディアを何か現実的な形に変えるよう導いてくれる。』というものなんですね。そこからは作曲をやっている彼女らしさや、色々な枷から解き放たれたいまの恋ちゃんらしさを感じる内容ですね。

*7:音楽用語で、音程を正しくすることの意味。これにはふたつの意味があり、ひとつは調律を合わせることで自分の楽器を正しい音程に合わせること、もうひとつは他の楽器と自分の楽器の音程を合わせること。

*8:あなたに関しても『夢中になっているもの』と同様に何かに限定できるものではないと思っています。が、それは新しい自分であり、澁谷かのんであり、Liella!であるのでしょう。